叶えても叶えても湧き上がってくる欲望たち。
消費の裏に隠された本当に自分が欲しているものとは?

欲しい。
やりたい。
行きたい。

私が発する言葉がほとんど「欲望」の表現だと気づいたのは、つい最近のことだ。

口癖のようになっている「もっと寝たい」から始まって、お金が欲しい、海外旅行に行きたい、美味しいもの食べたい、結婚したい、痩せたいと、その欲望はあらゆる分野でムクムク沸きあがり、限界というものを知らない。

別に欲なんかないわよ、ははん、なんてすかした顔して(るつもり)、その中身は強欲まみれの女だったのだ。自分は何かにつけて淡白な方だ、と思い込んでいたからちょっとショック。

欲といえば、仏教では煩悩を捨てることこそが聖者への道なのだそうだ。
煩悩は「執着」と言い換えるとわかりやすいだろう。
執着ゆえに人は苦しむのだから、それをクリアすれば仏に近づけるとか。

そこでちょっと考えてみる。私が今執着していることとは何だ。
お金への執着、恋人への執着、夢を叶えることへの執着。
……まじで? これを捨てろと?
そりゃ無理な相談だ。並べてみても執着が悪いこととは全然思えないのだから。
だって、このどれもが「生きがい」と言える人生のメインイベントじゃないか。

「したいけど、まだできていない」「欲しいけど、まだ手にいれられない」不満があるからこそ、それを叶える幸せを味わうことができる。目に活力を持った人間でいるためにはどうしたって欲望が必要だ。執着をこの手に持って、自分の人生をガツガツ切り開いているような気分でいたい私には、まだまだ仏様の手の上で転がされるわけにいかない。無念。

とはいえ、年中「欲」に翻弄されてばかりいるのもやっぱり気に食わないのが正直なところだ。

「したい、やりたい」ばかりを口にするときは、満たされていないときだ。
そういうときに押し寄せる物欲は、大抵お金で解決できるもの。しかし、買っても買っても満たされることはない。本当に欲していることを小さな欲望を叶えることで散らしているだけだからだ。

大事なのは、お金で買える消費の裏に隠された「欲望の親玉」を見極めることなのかも。
本当に欲しいものとは何なのか。それを知ることができれば、雑魚欲望に足をとられてフラフラさまようことなく、集中できるはずだ。

するってーと、私の親玉は一体何だろう?
最初に挙げた「したい、やりたい」の中で、お金で買えないものはひとつだけだった。

……「結婚したい」

さすが親玉、最難関!
まだまだ小さな欲望にまみれる日が続きそうだな、こりゃ。

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まつざき みわこ
まつざき みわこ
(complex gala.編集長)
「ソフト面」の編集を担当するフリーライター。エンタメ系から小難しい系までいける理論派だが、感情が先走るクセがあり、時折フリーズする。必殺技はベリーダンスだが恥ずかしがって披露しないという、これまたアンビバレンスな彼女である。
ブログ:虹色玉虫