子供心を忘れることが、大人になるってことじゃない。
子供の頃の自分の声に、耳を澄ませ。
子供の頃、私にとって大人は「敵」だった。
何かするに付け、まず闘わねばならない相手。
しかもルールは向こうが決めてくる。
子供だから解らないと一方的に説明をやめる。
「今度」と言っては約束を守らない。
読んだこともないマンガをくだらないものと決めつける。
だからこそ私は早く大人になりたかった。
子供の頃に感じた「大人のいやなところ」に気をつけてさえいれば、自分の理想とする大人になれるだろう、と。
けれど、実際のところの「大人」はもっと複雑だった。
やらなければならないことが多すぎる。
覚えなくてはいけないことが多すぎる。
そして、
子供がいるような大人は、守らなければならないものが、多すぎる。
それらを「バネ」と捉えられるような余裕さえままならないのだな、と27才くらいの私は痛感した。
27才と言えば光り輝く理想像に向かって、がむしゃらにやっていくことから一息つく年齢だ。
今まで必死にやってきたけれど、実際の私ったらどう?と、ふと我に返る。
自分の社会的な能力や人間関係、体力面での限界点が見えた時、理想と現実の圧倒的なギャップに失望した。
自分より1分でも長く生きていることができる人、すべてを尊敬したくなるほどに。
そこからの3年間は、その不安を払拭するために、より頑張った。
今年で32才になろうとしている私はこう思う。
どんなに年齢や経験を重ねても、理想は遠い。遠すぎる。
きっと、大人に完成はない。
というか、人間にカンペキはない。
だからこそ、子供の頃に感じたあの憤りは的を射ていたのだ。
何も知らず、解らず、成ってないという意識を携えて。
気負わず、忘れず、淡々と。
2009年の成人式に、ふと大人になった自分の顔を、鏡でまじまじと見てみた。
確かにずいぶん、大人になった。
育つだけ育ちきって、枯れないように気をつける。
特に感情が積年する顔は重大なチェック項目。
眉間にシワ、なし!
口角、下がってない!
チークを入れるときみたいな笑顔をニッと作る。
きっと、子供心を忘れることが、大人になるってことじゃない。
子供の頃の自分の声に、耳を澄ませ。
子供の頃の私に会ったら、
「コワい!」なんて思われない表情で、
私の都合を押し付けず、彼女の面白味を理解して一緒に遊べるような、
そういうオトナに、私はなりたい。
きっとオトナの私も、そういう私と遊びたいはずだ。


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- コヤナギ ユウ
- (yours-storeダイヒョー)
- イラストレーター・デザイナー・プランナー、株式会社yours-store代表。趣味が趣味に留められず「始めることが大切」と見切り発車し、「続けることがいちばん大切」と雪だるま式に人を巻き込む。登山とカメラが今の趣味で雑誌マニア。社会科見学先でハンカチーフを集めている。
- ・エッセイ:i REwrite you!





